テクスチャが揺り起こす建築の触感
さまざまな素材を扱う建築において、テクスチャは身近な存在に思えます。建築家にとってテクスチャとは、どのような役割を担っているものなのか、隈研吾建築都市設計事務所の堀木俊さんにお話を聞きました。
堀木 俊
堀木 俊

隈研吾建築都市設計事務所
芝浦工業大学卒業。在学中スイス連邦工科大学ローザンヌ校に留学。2013年より隈研吾建築都市設計事務所勤務。プロダクトデザインから都市計画のマスタープランまで大小さまざまなデザイン・設計に従事する。基本素材に加え、新しい素材や素材の新しい使い方、可能性を見出すことを中心にデザイン・設計を行っている。

質感を伝えるための建築模型とその素材選び

—堀木さんと建築、テクスチャとの関係について聞かせてください。

堀木: 私は大学院で建築の歴史や批評が専門の先生についていて、設計することよりも建築の図版や写真を見たりする時間が長かったんです。それもあって、「いい建築って何だろう」と考えたとき、図面がカッコいいとか、パターンとして心地いいとか、建築家のフレームを通して見える「テクスチャ」があると考えるようになりました。例えば、すごく効率よく回る駐車場の図面にはきれいなパターンができていたりします。逆にうまくいっていない図面だと、その空間にいる自分を想像して「ガチャガチャしていて気持ち悪い」とか、そんな表現もします。建築物は建ってしまうと変更できないので、図面や模型を使って事前にわかりやすく伝えるようにしますが、それは、建てる側だけではなくて、建て主にもできるだけ体感してもらい、「この建物を使っていく」ということを意識して欲しいからなんです。

—堀木さんは、設計図や模型をどのように作っているのでしょうか?

堀木: われわれは設計する際、人の目線で考えることを大事にしています。そのため、図面では立面図やパース画を使うことが多いです(図1、2)。

図1 側面からの断面図ではなく、立てた状態がわかる立面図。


図2 人間の視点から立体的に再構成し、CGなどでイメージを再現したパース画。


そして、建築模型を見るときは、必ず人の目線で見るようにしています。また模型を作る際には、建物の質感を表現するために素材を厳選します。さらに、周りの敷地の情景などを思い出しながら、場所の質感のようなものも模型に反映して、できるだけその場所の感覚を思い出せるようにします。樹木を作るときも、棒一本だけ立てて白樺の垂直な感じを表現したり、モシャモシャした茂みを作ったりといった具合です。今携わっているプロジェクトで、小松市の九谷焼の製土工場があるのですが、周囲には田んぼとかがあって牧歌的な景色が広がっているので、そういうものはスポンジに色を付けてちぎったりしてフンワリと表現したりしています(写真1)。そんな感じで、自分たちの考えやイメージを素材などを駆使して模型に反映させるのです。その後のプレゼンで僕が直接話す以外にも、別の人が代わりに説明することがあります。そういう場面でもイメージがうまく伝わるように、模型のテクスチャにはこだわるようにしています。

写真1 九谷焼の製土工場の模型の写真。建物の形状を再現するだけではなく、素材のテクスチャや周囲の雰囲気、外構のイメージなど、質感を伝えるために素材を厳選する。



—模型へのこだわりは、質感や雰囲気といった身体的な体験 を重要視するからでしょうか?

堀木: 自分たちとしても、図面を見ているだけでは見落としたり、取りこぼしてしまう部分があります。建築事務所には、石や木など、素材のサンプルが大量にストックされています。僕なんかはイメージを得るために、模型だけではなくそういうものも実際にデスクに持って来て、触りながらやったりします(笑)。木を選ぶにしても図鑑を見るのではなく、実際に取り寄せたり、ストックのサンプルを触ったりしながら決めていくのです。手で触れた情報と、模型の情報、図面を補完しあいながら、ひとつのものとして統合していく感じですね。


イメージを共有するための言葉とオノマトペ

—お話の中に「ガチャガチャ」「モシャモシャ」といったオノマトペが出てきますが、建築の世界ではよく使われるのですか?

堀木: オノマトペはよく使いますね。隈も『オノマトペ 建築』(2015年、エクスナレッジ)という本を出しています。例えば、われわれがよく使うのは「パラパラ」とか。ひとつではなくて、いくつかの単位に分節されているものが、いろいろな方向を向いているけど、あるひとつの幾何学上の統一はとれている状態です。あと、パース画の製作中に隈が「植物をもうちょっと生やそう」と言ったとしても、言葉だけではその量や状態がわかりません。でも、その言い方とか、手の動かし方を見ると「あ、フワフワさせたいんだな」と伝わってきたりしますね。スタッフには外国人もいっぱいいるので、彼らに「隈が木をたくさん置こうと言っていた」と直訳するとうまく伝わりませんが、オノマトペの印象を足して「fluffy」と伝えると、結構いいはまり具合をしたりするんですよ。海外との仕事など全然常識が通じないこともあるので、そこでどういう心のフックを作るのか、共通言語を作るのか、そういう感覚は常に意識していますね。

—図面や模型だけでなく、素材や言葉も含めて、クライアントと一緒に建築的想像力を働かせるイメージでしょうか?

堀木: あまり難しい言葉を使わないのがわれわれのプレゼンの特徴です。「あ、それね」と、一瞬でわかる言葉を選ぶことが重要で、僕もその点は心がけるようにしています。建築家には結構ロマンティストが多いので、難しい言葉を使ったり、それが新しいコンセプトですみたいなこと言ったりするんですけど、知らない言葉で伝えられても全然ピンと来ない。わかりやすいマニフェストのほうが効果はあるのになあと、いつも思いますね。
  なぜテクスチャや言葉にこだわるのか最近よく考えるのですが、民家のような暮らすための建物と宗教建築を分けた場合、民家では造る人と使う人がそんなに明確に分かれていなかったのではと思うんです。おじいちゃんが建てた家とか、近所の人で集まって集落内の家を建てるといったことがあって、大工さんのような感覚を知恵として共有していて、だから、建物も触覚的で、素材に対してもセンシティブだったのではないかと。逆に宗教建築のように誰かから与えられた建物だと、あまり触覚的にはならない。現代は、教会的な与えられた建築と住宅とが合体してしまったので、住宅の中から触覚的なものがどんどん消えてしまったのではないかと。
  各国の宗教建築と民家を分析していくと、そういう場面に出くわすことがあります。例えば、インドネシアで昔の家を見ると気候に合わせたさまざまな工夫が施されているのですが、今は冷房の効いたタワーマンションみたいなものが建っていて、中国で造っても、インドネシアで造っても同じものになってしまう。これでは、建物に触覚性なんて出てこないと思うんです。触覚に関する人間のセンサーがオフになるというか。だから仕事では、「この場所では、昔からこういう素材が使われていた」という文化人類学的な点に着目して素材を選んだり、現在の地域性にフォーカスして、例えば、ある産業廃棄物が出ているのであればそれを再利用するような方法で、その場所でしか起こりえない建築を考えたりします(写真2)。それが新しい気づきにつながってくれればいいなあと思っています。

写真2 産業廃棄物である廃棄される焼物を、建材として活用(左)。米を漉き込んだ米和紙(右)を、米を材料とする日本酒販売店の内装に使用。




素材が与える建築の楽しみや幸福感

—この先、建築において取り組みたいことはありますか?

堀木: テクスチャに関する新しい考え方とか、ウェルビーイングのような話にもつながりますが、建築には今、世界とのつながり方や充足感に関する議論が不足していて、これからは「快適さ」とは別の尺度を導入しなければならないと思っています。例えば、石の建築と土の建築を比べると、石の建築では重いものを持たなければならず、造るときの楽しさが違う、とか。重いものが積み上がっているから、石の建築にはちょっとした緊迫感あったり、永遠性の感覚があったり、とか。結局、ヨーロッパの教会とか神殿で石が多いのは、石の素材によるメッセージのようなものがあるのではないか、などと考えが巡ります。一方で、木や土を扱う大工さんと石を積む職人では、手の感覚が全然違うと思います。そのような造る楽しみや、素材から来る幸福感といったことに関して、あまり語られていないんです。このような、今までの建築の歴史が取りこぼしていたものを探り、それに取り組んでいきたいと考えています。