[特集1] 人には聞けない視覚以外で感じる世界のヒミツ
伊藤亜紗

Q. 目の見えない人と見える人は何が違うのですか?

A. 目が見えても見えなくても、食べたい/飲みたい/歩きたいとか、生きてく上でのゴールは変わりません。しかし、その方法はまるで違います。目の見えない方と接していると、「その方法があったのか」という驚きは日常茶飯事です。たとえば、白いシャツと黒いシャツを、目が見えていれば単純に白と黒の色の違いで見分けますよね。でも、見えない場合はそれができないから、何か別の方法を探さないといけない。何とか頑張って、このふたつのシャツは、白い方が柔らかくて、黒い方がちょっと硬いことに気づいて“見分け”たりします。視覚情報を視覚以外の情報で判断しているってことですね。触覚を重視するのか、音を重視するのか、はたまた人に尋ねる派なのか、そのあたりは見えない人によってもだいぶ差があるようです。

Q. 触覚に違いはありますか?

A. 目が見えていると対象に“リーチ”するというか、そこに物があるということをわかって、手を伸ばしますよね。見えない人は“サーチ”というか、そこにあるかわからないけど、対象を探しながら手を伸ばす。手の甲側で触るんです。「手をつなぐ」という意識にもかなり違いがあって、目が見えると、それはパーソナルなやり取りですが、目の見えない人にとっては、距離を確かめているという意味合いのほうが強いですね。

また、足や頬など、手以外の触覚をよく使います。たとえば、歩くとき、目の見えない方は、いきなり全ての体重を足の先にのっけないで、床に触ってから、重心をのせる。何かあったら、行かずに戻れるという感じでしょうか。頬も空気の流れで空間を感じたりします。

Q. 目の見えない人は質感をどのように認識するのでしょうか?

A. 目が見えると、物体の位置情報とコンテンツ情報がセットなんですよね。パッと見て、物がどこにあって、それがコップであるとか、ツルっとしている(質感)とか、同時に見ることができるんです。でも、見えない人にとっては、位置情報の方が生きていく上で重要なんです。「何かがそこにある」ということがまず大事で、そのあとに「ああ、ツルっとしたコップだな」とコンテンツになっていく。位置情報とコンテンツ情報には時間差があるんですね。

このあいだ、生まれつき目の見えない方と天ぷら定食を食べに行ったのですが、皿の数がすごく多くて、7つくらいあったんですね。「それ、どうやって食べてるの?」と聞いてみると、食べている間は、丸っぽい皿が真ん中にあるみたいな、抽象的で幾何学的なマップだけあって、食べるときにそれを意識すると、「あ、天ぷらだった」みたいに現れる。その人の言い方で言うと、全体がパソコンのデスクトップで、クリックすると「天ぷらです」って出てくる感じで、さらに「詳細を見る」を押すと、それが「海老です」とわかる。位置情報を記憶していて、それに順番に働きかけながら、階層的に情報を得ているんですよ。

Q. 遠くのものをどのように感じるのでしょうか?

A. 見えない人は、遠くのものを、振動を通して感じます。盲ろうの方で、花火をカバンの振動で感じるという人もいました。花火が爆発すると、その振動が空気を伝わって手に持っているカバンを震わせる。向こうの方で何かが起きたらしい、と感じられる。あと、電車が近づくのも、風とか振動で感じる人が多いようです。さらに、目の見えないサーファーの方もいます。ボードの振動だったり、風だったりを感じて波に乗るようです。そのサーファーの方曰く、どんなスポーツも、目を使っているうちは「遅い」。どんどん高度になるに連れて盲人化していくっていう。

Q. 目の見えない人は空間をどのように認識するのでしょうか?

A. 街を歩くとき、目の見えない方の心象風景は、おそらく時間軸が中心で、手続き的なものだと思いますね。見えていれば「ハンバーガーショップの看板が見えたら曲がれ」とか、そういう目印がベースになるんですけど、見えないと、やっぱり場所にある音や触感、匂いが手がかりになります。醤油の匂いがしたら曲がるとか、すごいときだと、「何かわからないけど、白杖で叩くと、カーンって音がするものがあるからそこを曲がれ、キーンじゃなくてカーンだ」みたいな(笑)。

それと、興味深いのが、「コンビニがある」じゃなくて、「コンビニが出てくる」みたいな言い方をするんですよ。見えない方にとって、触れているときはそれが「ある」なんですけど、手を離した瞬間に「たぶんある」になって、10分たったら「あるかも?」みたいに、時間によって変化する「ある」なんです。だから、自分がそこに行くと、もう一回「出てくる」になる。見えていると、世界は自分とは無関係に「ある」わけですけど、目が見えないと、世界はインタラクティブにしか出てこないんですね。